昭和49年10月17日 朝の御理解



  御理解 第16節
 「無常の風は時を嫌わぬと言うが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。」
                                                                                 今の合楽で日々奇跡と思われるおかげが、次々と現われておると云う事。本当に今ここにお参りして見えた李さんなんかもそうです。もうお参りをして来るだけで、自分が病人看護に付いておられますからすぐ帰る訳ですね。もう医者の言う通りにするなら、一か月半も前に亡くなって、この世にはおられなかった筈でした。しかもその末期症状と言うのは、側にいて見ておられないくらい苦しみであった。
 もうそれこそ側におって、自分が先に死んだ方がましという風に、苦しまれる。七年間も病院に入院しておる。九大にね。それがお参りして来る様になって、段々おかげを頂いて、その苦しみが無くなった。おかげで、輸血もせんで済む様になった。毎日輸血があっておった。おかげで腫れも段々減ってきた。有難い事には、食事までが少し美味しくなって来た。確かに本当に無常の風は、時を嫌わんと。
 まあ御釈迦様は、言っておられますけれども、金光大神の道は、そう云うもう運命的に、もう駄目だと言われる人でも、言うなら死相がもう現われておる人です。末期症状が出ていると云う事は、死相が現われている訳です。と云う人がです言うならもうここ二か月あまり、生き延びのおかげを頂いて、しかも七年間どうにも、医者も医学では出来なかったものが、おかげを頂いておるという。その事実がね、無常の風が時を嫌うぞと、教えられておる様な事だと思います
 。まあそういう例を取るならば、もう本当に限りが御座いませんよね。合楽では言うならば、ない寿命を助けて頂いた。もう開けない筈の道が開けて来た。同じです。昨日のあの御大祭を頂いて幾人もの方達がわざわざ、私はもう裏に前の日が丁度朝の二時半まで起きとりましたから、もうお祭りが済んで先生方の御説教を終わって、それから御直会が先生方の御相伴を、ちょっとさしてもろうて休ませて頂いた。
 所が次々と「もう寝とられますか」と言うと、「いやちょっとお会いして、お礼を申し上げねば」と言う人が幾人も御座いました。お話を聞くと「有難いねえ」と言うてから、きついとを忘れてしまうくらいに、お床の上ではありましたけれども、お取次さして頂きました。その中にですね。お姉さんが、大変熱心に信心を致しますので、その弟嫁さん達夫婦も、言うならば強引にお導きをさして、昨日示現活動をなされて、連れて参って来たのがおりました。
 この人は東京から嫁入って来ているのです。福岡郊外に東京ではです。金光家。所謂金光家(や)と金光様の金光を頂いて、屋号にする程氏の熱心な御信心する。勿論改式までしてあるお家で大変繁盛してるお家だそうです。金光家(や)金光屋金光屋と呼んで、ですからそこの娘を、だから本当に信心のある家庭から来るのだから、もう本当におかげを頂いたと言うてお母さん喜びよった。
 ところが実際来て見たら、それはたまがる事たまがる事。ま話を聞いただけでもびっくりするのです。我が儘なんです。もう主人はおとなしい人ですけれども、主人はもう尻の下に敷いてしもうとる。お祖母ちゃんなんかでも、「もう、こうして一緒に暮しよるけれどもお祖母ちゃん、私はあなたを決して見りゃら切らんからね。今の内に息子が何人もおりますから、何処かあなたの好いた所に行きなさるが良いですよ」それを、毎日の様に言うと言うのです。
 それでお祖母ちゃんとは一緒には住み切らんから、今度すぐ近所に立派な家を建てました。おかげを頂いてそして金光様の信心を頂いとって、二か月前にです。家を建て終わって、何処かそのお尋ねに行ったら、金神の方に向いていっとるけんで、二か月待たなければ、いかんと言われたげな。金光様の信心を、言うならば、改式までさして頂いて、家は金光家とまで言われて、金光様のおかげを頂いておる所の嫁がです。
 もう一番金光様が、言うならお嫌いになるその日柄方角を言うたり、金神さんの方角を言うたりするのです。とうとう二か月間、行きませんでした。お祖母さんが悔やまれます。折角立派な、あけたままである。そしてようやく移った。そしてからね、「お祖母ちゃんの所の風呂には入りに来るばってん、お祖母ちゃんうちの風呂に入りに来ちゃ困るよ」と、はっきり言うそうです。もうそれこそ息子がね、「お祖母ちゃん、辛抱しておってくれんの。辛抱してくれんの」と、息子が言うからね。
 辛抱が出来るけれどもと言うて、お祖母さんここにお参りして、お届けして言いよりましたけど、その人の姉さんにあたる人が、熱心に最近信心さして頂きますから、もうこれは何というても、一つ御神様の御信心をさせねばいけんというので強引に。それは嫁入って来た時、それこそ見事なお社を持って来るとは、そればってん拝みもしなければ、何もせんもほんな、押し入れの隅の方に押し込んどるという風な、言うならば、嫁さんである。それけんちゅうて、腹が悪いわけではないらしい。
 所謂我が儘なんです腹はいい。その嫁さんが昨日参って来とりましたが、親子三人連れで私の所へ参りましてからね、「初めて目が覚めました」と言うて、お話を頂きよったらね、もう今までの自分が恥ずかしいと、もう主人とお母さんを前にしてから言うとです。本当に今までの自分が恥ずかしい。初めて目が覚めましたと。惟からは信心さして頂いて、おかげを頂きますから、どうぞ今までの事をお詫びをして下さい。これだけは今までの事をお詫びして頂かなければ帰られんと言うので、。
 昨日はもうお祖母ちゃんが喜ぶ。息子が喜ぶですね。何十年かぶりに初めて目が覚めた。今日は私神様から「爪立って歩くと云う事は、長くは続けられない」と頂いた。「爪立って歩くという事は、長くは続けられない」言うならば、背伸びをした行き方と云うのは、きついと言うのです。同時に又爪立って歩いておると云うのは、自分自身が、極楽のおかげね言うなら。自分の心が助かっておる信心によってです。
 あれもおかげ。これもおかげと頂ける様な心の状態を頂いて、後の示現活動でなからなければ、長続きせんという意味の事を頂きました。ここでは示現活動。示現活動と、今はもうそれが、もう合楽の最高の信心であり、又打って一丸。昨日御祝詞の中で申しました様に、信念共同体。運命共同体。もう私、私一家は合楽教会と運命を共にする。そういう信念を持った人達が、一つの打って一丸となった共同体となって、示現活動に参画さしてもろうて、活躍させて頂こうと云う事なんです。
 けれどもです。ただ自分が助かる為にお導きとか、示現活動では長続きしないと云う訳です。自分自身が先ずおかげを受けなければ、自分自身が先ずは助からなければ。成程そう思うて見ると、なら池田さんとか川上さんなんかが、もうそれこそ毎日毎日、活動が始まって、電車の中でも、バスの中でも、自分の知っている範囲の人達には、それこそもう熱烈な、いわば合楽の信心を人に伝え語られる。
 場合には反発を受けられる様な場合も、沢山あるけれども、そんな事なんか問題じゃない。問題は私自身が助かっておるのだからと。二人共リューマチでおかげ頂いた人なんです。池田さんもリューマチでおかげ頂いた。それから川上さんもやっぱり。御親戚がお医者さんですから、手の入れられるだけの養生したけれども、益々悪くなるばかりですから、親戚の方には、とにかくそれを止めて、薬を止めて、医者の治療を止めて、一心に此処にお参りして来る様になって、おかげを頂いた。
 十三年振りに子供に恵まれたと言う様なおかげが切っ掛けで、信心をさして頂いてその間のおかげ話。おかげを受けたという内容を沢山持っている訳です。ですからその示現活動がね、もう有難うしてこたえんからさして貰うのである。是は背伸びじゃありませんよね。まぁ親先生があげん言いなさるからと言うて言うならば背伸びした、言うならば活動では長くは続かないと云う事。先ずは自分自身が助からなければ、金光大神の道は確かにです。それこそ奇跡の道という意味になりましょうもんね。
 無常の風は時を嫌わんと言うけれども、金光大神の道はその無常の風に時を嫌わずと云う事は奇跡という。奇跡の道と云う事が言えるじゃないですか。金光大神はそういうおかげの頂けれる道なんだ。だから今の合楽の信心にピッタリきてる訳なんです。本当に示現活動が出来ればそこに助かるんだ。ですからそういうなら金光大神のこの16節をです。本当に今合楽ならば現わせる訳です。だからどうでも示現活動に愈々本格的な活動に、言わば打って一丸となって運命共同体であり。
 信念共同体としてのです。御用が出来なければならん為に、先ず私が助からなければならない。私がおかげを受けなければならないと云う事になるのです。言うならば今のお話じゃないですけれども、本然として私は目を覚まさなければいけない。そして自分自身助かっておる事実を再確認しなければいけない。その有難いと云う物がです示現活動となって来る時です。私は本当の意味での示現活動だという風に思うのです。
 だからこの十六節の言うならばこの御教えを、言葉に変えますとです。金光大神の道は、奇跡の道だと云う事が言えます。ですから今その事をです。合楽では愈々現わして行こう。又現わして行きつつあるのが、現在の合楽だと。合楽示現活動に参画するという事はです。そういう大変な道を、私共は頂きつつある訳であります。それは例えば、なら池田さんとか川上さんの話をしたがです。病気の上でいろんな事で、おかげの話を沢山持っておると云うだけでなくてです。
 もう本当に心が助かっておられると云う事ですよ。もうそれこそどんな場合であっても、ああそれはあなた、おかげじゃないですかと言うて、言い切ってしまわれるです。悔やみよる。悲しみよる。腹を立てとる。それを見たり聞いたりされると、ああそれはあなたおかげですよ。おかげじゃないですかと。自分が実際に助かっておるから、それが言えれる。そして次のあの方達の話を聞いて行くと、本当に池田さんそうですね。本当に川上さん、あなたが言われる通りですねと。
 今度は御二人の示現活動によって、いくらもの人が、昨日の御大祭に、おかげを頂いとります。ですから先ずは自分の助かりを確かめながら、助かっておる言わば度合いが、示現活動に現わされて来る。そこにですそれこそ、もう運命が留まっておる。言うならば無常の風が時を嫌わぬと言う様な事になっておる破目の人であってもです。その風を向こうに押し返す様な働きが出来るのが、示現活動だと思います。昨日御直会が始まるという二、三十分前でした。
 久留米の原口という県会議員がおられますが、御夫婦で参拝しておられました。応接間で待たせてあるからというので、あちらでお会いしました。奥さんはちょいちょいお参りして見えるのです。所がその原口さんと言う方は、ここの親先生と同じ事で、もう大黒様を集めるのが趣味だそうです。様々な大黒様を集めてある。この頃お参りした時に、奥さんがそれを聞かれてですね。集めるだけじゃいかん。拝まにゃいかんと言う事。合楽の親先生が大黒様。もうそれ以来、もう一生懸命拝まれるそうです。
 そして言うならば合楽にもお参りして見ようかと云う気にもなられた訳です。丁度お祭りの始まる前に、昨日申しました様に市長さんの近見さんが、秘書の方達を伴うてもうお祭りの始まる寸前で、御装束つけて冠かぶるばっかりで、こっちに出て来なんという時間でした。裏の方に見えましたからそれこそ今日はこんな訳で、もう時間ですからと言うて、ちょっと簡単なお願いですからちょっとお願い出来させて頂きたいと言うて、色々見えました、所が簡単なお願いじゃない大変なお願いでした。
 ですから、そう言う様な事も、私は昨日近見さんの、こうして参拝があって、言うならば、市政の事に至るまで、お取次を頂いて、おかげを頂かれておられる、近見さんの話を致しました。近見さんが言われます。久留米にね言うならば真善美の世界。本当に久留米市民にです。貧、争、病ね、争い、貧乏、又は病気のない久留米全市にして行く様な、大きな理想に燃えて、お取次を願わられる訳です。それがその為にです。
 なら御自身が、神様のお取次を頂いて、成程天地が自由になる程しの、神様である事が、信じ分かられたから、お願いに見えるのです。だから皆さんの場合なんか、其処まではとうの昔、言わば通っておられる訳ですから、そう云うおかげの受けられる神様だと分かっただけでなくて、自分自身がね、本当に助からなければいけないと云う事です。言うならば先程お話しました様に、それこそ心の目が覚める。開眼する。
 そこに今までの自分が恥ずかしうてたまらんと、お詫びをさして頂く所からです。言わば新たな信心が展開して来る。そう言う信心に私は、まあー言うならそう言う信心に、後押しをして頂くと言うかね、便乗する。そう言う信心に便乗して、私は示現活動をさして頂くと言う様な事やらはです。もうこう言う大変な神様が、私のバックに付いて御座る。後ろに付いて御座るのだから、何処へ行っても、示現活動が出来るという、言うならば確信も又、生まれて来る訳です。
 先ずは自分がおかげを受けて、先ずは自分が助かって、でなからなければ、本当の意味においての、示現活動は出来ないと言う事であります。問題は助からなければいけません。それを今日はこの十六節から、聞いて頂きました。しかもこの十六節は、改めて今日分からして頂いた事は、金光大神の道と言うのは、奇跡の道だと、はっきり言うておられるのが、この十六節だと思いますね。
   どうぞ。